“珈琲・紅茶専門店 Scene”から発信されたメールマガジンから話題になったメールの内容を当ライブラリーにストックします。

バルカン紀行 ボスポラス海峡

ボスポラス海峡
バルカン紀行 ボスポラス海峡
              トラム(路面電車)
朝、トラム(路面電車)に乗ってガラタ橋まで行った。グランドバザール、アヤソフィアをかすめるように走ってエジプシャンバザールに出る。混み合う車内で、みんな体を預けるように左右に揺れている。人々の生活を支えて、市電は古い街のカーブを曲がっていく。
バルカン紀行 ボスポラス海峡
               釣り人でにぎわうガラタ橋
 ガラタ橋で降りると、もう港の風情がしてくる。トルコのお菓子を売る店、鮮魚の露店。庶民的なにおいがただよう。
 ロカンタ(食堂)では、ドネルケバブを料理人がこそげ落としている。ドネルケバブは、鉄の棒に羊の肉を薄く重ねて、回転しながら炙るトルコの名物料理。
 19世紀、ガラタ橋は旧市街と新市街を結んで架けられた。木の浮き橋の一階は食堂街、上のほうは人が渡っていた。食堂ではサバ(鯖)サンドが名物だった。1992年に火災にあって、今は見ることができない。
 新しいガラタ橋は釣り人でにぎわっていた。不景気になると釣り人が増えるのだそうだ。気のいいおっちゃんが、釣ったばかりのイワシを空に向かって放かし投げてくれた。カモメがさっと寄ってきて、見事にキャッチする。「どぅ、面白かった」。「うんうん」。
 金角湾の青い水面に小舟が行きかう。渡った先にガラタ塔が見える。朝の始まった通りに人々の活気がよみがえる。
バルカン紀行 ボスポラス海峡
        オリエント急行終着駅 イスタンブールのシルケジ駅
 ガラタ橋の近くにシルケジ駅がある。アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』はここウシュクダルのセリミア・モスクから始まる。古風な煉瓦造りの駅は、ひとつの時代が終わったかのように、閑散としていた。ヨーロッパからの列車が入線してきて、貴婦人が降り立った当時の華やかさは、どこを探しても見当たらない。
 ボスポラス海峡クルーズに出かけた。クルージングといっても、豪華客船というわけではない。それでも浜名湖の連絡船より大きい。いざ出港、目の前にスレイマン・モスクが広がっている。オスマントルコの最盛期だったころのモスクは、真珠のように輝いていた。
バルカン紀行 ボスポラス海峡
           ボスポラス海峡のアジア側 ウシュクダラ
 紺碧のボスポラス海峡は、どこまでもゆったりと流れる。対岸のアジア側はウシュクダラ、頭が良くて美人揃いの街だと江利チエミは歌った。イスタンブールでは、10メートル歩けば美人にぶつかるから、まんざら噂ばかりとはいえない。内緒だが浜松は10キロ。
 ウシュクダルのセリミア・モスクが遠くに見える。クリミア戦争のとき、ナイチンゲールが活躍したセリミア兵舎はこの近くにある。クリミア戦争というから黒海のクリミアで過ごしたとばかり思っていたが、野戦病院はイスタンブールにあった。ロシアのクリミア半島に、イギリスの兵舎があるはずがない。
 緑の森に瀟洒な別荘が見え隠れする。ドイツの建築家ブルノ・タウト(桂離宮を世に広めたことで有名)もここに住んでいた。この辺は別荘地として絶好だが、工費は10億円くらいかかるそうだ。ちょっと手が出せない、いや全額足りない。
 最狭760mしかない海峡を、帆船、商船、軍艦、タンカーが行き来していた。黒海からエーゲ海へ、船の航跡は、そのまま世界の歴史へとつながっていた。日露戦争が勃発したとき、ロシアの黒海艦隊をこの海峡で見張っていた人がいた。トルコ在住の山田寅次郎である。寅次郎の手腕はいかんなく発揮され、その功績は高く評価された。山田寅次郎は茶道の宗徧流家元としても知られている。
 ボスポラス第一大橋が見えてきた。橋を渡れば、いとも簡単にヨーロッパからアジアへ越境することができる。まさにひとっ飛びだ。橋をくぐり抜けると、ランチタイムの始まり。塩ゆでのエビ、細長い肉団子のキョフテ、ヒラメのグリル、シミットという胡麻つきパン。ボスポラス海峡を5月の風が吹き抜ける。
 宴たけなわとなるころ、第2ボスポラス大橋をくぐった。この橋は、1988年日本の援助で架けられた。同じ年に開通した瀬戸大橋とは姉妹橋の関係にある。このまま進めば黒海だ。
 イスタンブールの街を遠望しながら帰路についた。150年前、夕景に浮かぶミナレットのシルエットを、ナイチンゲールはどのような気持ちで眺めていたのだろうか。
 ボスポラス海峡からマルマラ海、エーゲ海へと開けていく。ギリシアを間近にして、バルカンの旅は終わった。3300キロの長い旅だった。
バルカン紀行 ボスポラス海峡
               ボスポラス第一大橋

同じカテゴリー(バルカン紀行)の記事
削除
バルカン紀行 ボスポラス海峡