トリアー
大聖堂に流るるミサ曲 天上へきみを送りし日のごとく聴く 陽子
フランス国境に近いトリアーは、ドイツ最古の街、BC13Cアウグストスが入って軍隊を置いたのが始まり。紀元前とあれば、気が遠くなる。大聖堂も薬局も、ドイツで最初。トリアーの街を歩けば、世界史のテストは90点以上とれる。
モーゼル川沿いにローマ遺跡がある。大浴場の跡、とにかくローマ人は風呂が好きだった。いっぺんに大勢で入れたローマの風呂は、広々とした青空の下、アーチの壁を残して人影がない。全長240m、温水、冷水、蒸し風呂とすべてを取り揃えていた。郊外には円形競技場跡がある。ここでグラディエーターが闘っていた。
ローマ帝国は、北方の蛮族を阻止しようとラインに固執した。ライン川に沿ったケルンもコブレンツも、ローマの砦であった。ローマ帝国の北の果てライン。トリアーは北のローマを目指した。
ローマ帝国最大の皇帝、コンスタンチヌス大帝の偉業はトリアーから始まる。トリアーに在住していた306年から316年の10年間で、世界史を変えた。
312年、ローマの北で戦かっている最中、中空に十字架が光るのを見た。キリスト教に回心して、勝利を得る。313年、ミラノ勅令を出して、ローマ帝国はキリスト教を公認する。
324年ローマ皇帝につく。330年、ビザンチゥムに遷都してビザチン帝国を築く。いまのイスタンブールの創始者である。
トリアーのバシリカ(教会堂)は、コンスタンチヌスの命により再建された。長さ67m、高さ36m、とにかくでかい。19世紀、プロテスタントの教会となった。
トリアーの広場に朝の市たちてとりどりの薔薇、りんどうの花 陽子
トリアーの街は明るく開けた感じがする。マルクト広場が広い。花屋、野菜、果物の色鮮やかな売り場から、季節の香りが漂ってくる。イチゴ・サクランボ・オレンジ、バラ、リンドウ、グラジオラス、その輝き、その瑞々しさ。マルクト広場は夏色に輝く。
広場を囲んで、ロマネスク、ゴシック、バロックと様々な建築様式の建物が並び、さながら建築絵巻のよう。壁の淡い色相、屋根が変奏して、灯り取りの窓の変装、眺めているだけで楽しい。
広場から入ったところに、ユダヤ人街がある。狭い道幅に建物がひしめく。出窓に花飾り。1602年に建てられた古い家もある。ドイツの中のユダヤ、それだけで悲惨な思いがする。13世紀のドライクニハウス、1階に出入り口は作らず、2階から出入りする。防備のため夜は梯子を外した。
ヒットラー、ゲッベルスなどもういない、いないと思う、いるかもしれず 陽子
大聖堂が見える。元はコンスタンチヌスの宮殿だった。2基の角塔、2基の円塔、複雑な構成は、教会建築の粋。中に入ると、パイプオルガンが鳴り響き、ミサが行われていた。俗世間から聖なる世界へ、心鎮まる。
大聖堂の秘宝は、キリストがゴルゴタの丘を登ったとき身に着けていた聖衣。謎に包まれているが、一般公開されると、250万人もの人が集まった。
トリアーの街並 遠くに大聖堂が見える
ボルタ・ニグラ
トリアーのシンボル、ボルタ・ニグラがでんと構えている。かつて城壁に囲まれていたころの北の入口であった。砦を兼ね、2層の柱廊がのしかかっている。
ボルタ・ニグラ、黒い門と呼ばれるのは、長い年月にさらされて、黒く変色してしまったからである。柱廊に上がって、アーチ型の窓から広場を眺めると、大聖堂が見える。大通りのにぎわいもどこかゆったりして落ち着きがある。
トリアーで世界の歴史を変えたもう一人はマルクスだ。大聖堂の街で革命思想が起こったなんて、世界史の冗談と言う人がいる。当時、農村も都会も悲惨な状態であったから、かんかんのカトリックの街といえども、変革の道を目指したのも当然かもしれない。
そんな歴史的なことは横に置いといて、とりあえず呑もう。ここはモーゼルワイン発祥の地、愛くるしい澄刺とした「山の娘」にたとえられている。「ドイツワインと聞くと甘いという印象が強いようですが、実はとてもさわやかで酸味の強いきりりとした味わいです。モーゼルワインはリースリングという葡萄の種類で醸造されていて、冴えた酸味が特色です。ワインは現地で頂くのが一番ですね。ワインも船や飛行機で運ばれて各国へ旅をすると疲れてしまうようです」。(都さん)
大聖堂に流るるミサ曲 天上へきみを送りし日のごとく聴く 陽子
フランス国境に近いトリアーは、ドイツ最古の街、BC13Cアウグストスが入って軍隊を置いたのが始まり。紀元前とあれば、気が遠くなる。大聖堂も薬局も、ドイツで最初。トリアーの街を歩けば、世界史のテストは90点以上とれる。
モーゼル川沿いにローマ遺跡がある。大浴場の跡、とにかくローマ人は風呂が好きだった。いっぺんに大勢で入れたローマの風呂は、広々とした青空の下、アーチの壁を残して人影がない。全長240m、温水、冷水、蒸し風呂とすべてを取り揃えていた。郊外には円形競技場跡がある。ここでグラディエーターが闘っていた。
ローマ帝国は、北方の蛮族を阻止しようとラインに固執した。ライン川に沿ったケルンもコブレンツも、ローマの砦であった。ローマ帝国の北の果てライン。トリアーは北のローマを目指した。
ローマ帝国最大の皇帝、コンスタンチヌス大帝の偉業はトリアーから始まる。トリアーに在住していた306年から316年の10年間で、世界史を変えた。
312年、ローマの北で戦かっている最中、中空に十字架が光るのを見た。キリスト教に回心して、勝利を得る。313年、ミラノ勅令を出して、ローマ帝国はキリスト教を公認する。
324年ローマ皇帝につく。330年、ビザンチゥムに遷都してビザチン帝国を築く。いまのイスタンブールの創始者である。
トリアーのバシリカ(教会堂)は、コンスタンチヌスの命により再建された。長さ67m、高さ36m、とにかくでかい。19世紀、プロテスタントの教会となった。
トリアーの広場に朝の市たちてとりどりの薔薇、りんどうの花 陽子
トリアーの街は明るく開けた感じがする。マルクト広場が広い。花屋、野菜、果物の色鮮やかな売り場から、季節の香りが漂ってくる。イチゴ・サクランボ・オレンジ、バラ、リンドウ、グラジオラス、その輝き、その瑞々しさ。マルクト広場は夏色に輝く。
広場を囲んで、ロマネスク、ゴシック、バロックと様々な建築様式の建物が並び、さながら建築絵巻のよう。壁の淡い色相、屋根が変奏して、灯り取りの窓の変装、眺めているだけで楽しい。
広場から入ったところに、ユダヤ人街がある。狭い道幅に建物がひしめく。出窓に花飾り。1602年に建てられた古い家もある。ドイツの中のユダヤ、それだけで悲惨な思いがする。13世紀のドライクニハウス、1階に出入り口は作らず、2階から出入りする。防備のため夜は梯子を外した。
ヒットラー、ゲッベルスなどもういない、いないと思う、いるかもしれず 陽子
大聖堂が見える。元はコンスタンチヌスの宮殿だった。2基の角塔、2基の円塔、複雑な構成は、教会建築の粋。中に入ると、パイプオルガンが鳴り響き、ミサが行われていた。俗世間から聖なる世界へ、心鎮まる。
大聖堂の秘宝は、キリストがゴルゴタの丘を登ったとき身に着けていた聖衣。謎に包まれているが、一般公開されると、250万人もの人が集まった。
トリアーの街並 遠くに大聖堂が見える
ボルタ・ニグラ
トリアーのシンボル、ボルタ・ニグラがでんと構えている。かつて城壁に囲まれていたころの北の入口であった。砦を兼ね、2層の柱廊がのしかかっている。
ボルタ・ニグラ、黒い門と呼ばれるのは、長い年月にさらされて、黒く変色してしまったからである。柱廊に上がって、アーチ型の窓から広場を眺めると、大聖堂が見える。大通りのにぎわいもどこかゆったりして落ち着きがある。
トリアーで世界の歴史を変えたもう一人はマルクスだ。大聖堂の街で革命思想が起こったなんて、世界史の冗談と言う人がいる。当時、農村も都会も悲惨な状態であったから、かんかんのカトリックの街といえども、変革の道を目指したのも当然かもしれない。
そんな歴史的なことは横に置いといて、とりあえず呑もう。ここはモーゼルワイン発祥の地、愛くるしい澄刺とした「山の娘」にたとえられている。「ドイツワインと聞くと甘いという印象が強いようですが、実はとてもさわやかで酸味の強いきりりとした味わいです。モーゼルワインはリースリングという葡萄の種類で醸造されていて、冴えた酸味が特色です。ワインは現地で頂くのが一番ですね。ワインも船や飛行機で運ばれて各国へ旅をすると疲れてしまうようです」。(都さん)
コメント