“珈琲・紅茶専門店 Scene”から発信されたメールマガジンから話題になったメールの内容を当ライブラリーにストックします。

モスタル

モスタル 
モスタル
          わが谷は緑なりき     
 サラエボからモスタルに向かう。渓谷は緑に染まり、ディナルアルプスに雪が降りかかる。谷間に流れるネレトバ川がゆったりと流れる。牧場が丘に広がり、森陰に蜜蜂の巣箱が置かれている。新緑のなかの農家の庭先、置き去りにされた赤い自転車。風に吹かれてポプラの葉が揺れる。
 集落の背後にアーチの連なる石橋が見える。線路が緑の森を縫って走っている。いつ列車がやって来るのかわからないほど、草深い鉄道。
 メジュゴリエに到着。ここは不思議というか、奇妙というか、謎に満ちた場所だ。1981年6月、6人の若者が丘の上に聖母マリアを見た。翌日同じ場所に出かけて、マリアと祈り、話をした。それからも聖母マリアは現れつづけ、その度にお告げを言い渡す。そんな昔のことじゃあない。
 評判は評判を呼び、押すな押すなの人であふれた。メジュゴリエに大きな教会が建てられ、今日もまた大勢の人でごった返している。涙を流すキリスト像の前に行列ができていた。にわかに信じられないけれど、前にポルトガルへ行ったとき、ファテマというところで、同じような場面に出くわした。3人の少女が聖母マリアと出会ったというのだ。ファテマも大きな教会があった。
 日本でも観音様が現れてという話は聞くから、信じる者は救われるのだろう。メジェリコのマリア様のお告げはインターネットで見られるそうだ。
モスタル
         モスタルの橋を挟んで教会(左)とミナレットの塔が立つ
 午後、モスタルに着く。ネレトバ川は峡谷となって、深く青く静かに流れている。谷を渡して円やかなアーチの橋が架かる。世界3大名橋というものがあるとすれば、きっと選ばれたにちがいない。均整のとれた橋脚が、天空高く浮かび上がっている。元はつり橋だったが、1556年、スレーマンⅠ世の命によってアーチの石橋につけかえられた。優に400年を超える古い橋は文字通りスタリ・モスト(古い橋)と呼ばれていた。
 橋はこちら側とあちら側をつなぐ。人が渡り続ける限り、2つの村の歴史は共有される。こちら側にカトリック教会、あちら側にモスク、仲の良い時代がずっとつづいていた。自由に行き来して、どちらにも愛する人がいた。
 それが1993年、橋を挟んで戦火を交えることになった。橋は爆破されてしまう。同時に、親戚、恋人、友人も引き裂かれた。
 内戦が終わって、人々は川に沈んだ橋の破片を拾い集めた。足りない部分は16世紀の石切り場まで取りに行った。こうしてモスタルの橋は復元された。
 橋の両岸は、縁日のような楽しい空間が広がる。かつて職人街だった一角は、銅板屋、絨毯屋が並ぶ。水差し、コーヒーセットの店もある。カフェも見受けられる。
 橋の真ん中は少しとんがっていて見晴らしがいい。両岸の古びた家並、教会の塔、重厚なモスク、空高くミナレット、背後の岩山が不気味にそそり立つ。橋だけが美しいのでなく、周りの景色が美しく引き立たせる。
 20メートル下に川底が見える。シーズンには橋から飛び込む若者がいるそうだ。むろん投げ銭目当てだけど。
モスタル
               トルコ人の家
 向こう岸のトルコ人街の家を訪ねる。川岸にせり出した部屋から、アーチ橋を覗くことができる。絨毯の敷き詰められた部屋で、オスマン時代の豪勢な生活を垣間見る。
 モスタルの橋のたもとに「93年を忘れるな」の石碑がある。近くには爆撃された廃墟が無残なまま残されている。美しい景色のなかに消えない過去の過ち。
モスタル
              モスタルの橋

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