恋してイスタンブール
ホテルからアヤ・ソフィアが目の前に見える
スルタンアフメット地区にあるTerrace guest houseホテルにはエレベーターがない。スーツケースを持ちあげて螺旋階段を昇っていかなければならない。
朝も早よからアザーンで起こされる。朝食は屋上だという。えんやこら階段を上がって、6階の屋上に着いたら、ユーラシア大陸のど真ん中に出た。ヨーロッパとアジアをつなぐボスポラス大橋、マルマラ海を行き交う船、振り向けばアヤ・ソフィア。まるで空飛ぶ絨毯に乗っかっているよう。
スルタンアフメット地区というのは、帝都コンスタンチノープルのへそにあたる。由緒ある場所だが、ホテルのまわりはごちゃごちゃとしていて、いかにも旧市街といった感じ。屋根のくたぶれ具合がいい。
テラスのフェンスにカモメが止まる。ツバメが大きく旋回してアジア側へ越境していく。風が吹いてくる。アジアの風か、ヨーロッパの風か。
朝食に、ポーランド、フランス、スペイン、いろんな国の人たちが、狭い階段を上がってくる。あれ、こんなに大勢泊まっていたのかとびっくりする。
はっきりいって、このホテルは快適ではない。安いのが取り柄で、家庭的な気安さが受けているのかなと思った。ところがいい意味で予想は裏切られた。
このゲストハウスは文句なく素晴らしい。このロケーション、こんな素晴らしい場所が世界のどこあるだろう。みんな絶対評価で来ているのだ。旅の通の選ぶホテルはこういうところなのだと知った。
ホテルの屋上からマルマラ海を望む
裏通りをガラタ橋のほうへ下っていくとエジプシャンバザールに出る。エジプトの産物を取引していたからその名がある。世界中の香辛料が集まったのではないかと思うほど、香辛料が山のように並べられている。赤、黄、緑、黒のあらゆる色が競い合う。
バクラワなどのお菓子が並ぶ店で、店員がやたらに話しかけてくる。日本人の観光客が大勢やってくるらしく、日本語が上手だ。「持ってけ、ドロボー」などと寅さんみたいなことをいう。わいわい言っているうちに、あれこれお菓子を買うはめになった。そんなに高くないから、まあいいか。
エジプシャンバザール
それにしてもトルコの男ってイケメンが多い。お店のお兄ちゃんなんか目元すっきり、口から出まかせ。「向かいの店のあいつはオカマだよ」。ホントかよと確かめに行ったら、何を言うかと怒ってきた。怒った顔つきがまた渋い。それであいつの店で、黒コショウと白コショウを買った。
ガラタ橋のエミノニュ広場に出て、サバサンドを求めた。船上の巨大なレンジで大量のサバが焼かれて、もうもうと煙が立ち込める。手早くパンにはさんで渡してくれる。
エユップの丘のチャイハネ
イスタンブールを愛した人は多い。ピエール・ロティもそのひとり。ロティは、1879年『アジアデ』を書いた。二階の格子窓からちらりと視線を送る美女がいた。一目惚れしたロティは、トルコ人に扮して階下に通うようになる。女の名はアジアデ、老富豪のハレムに囲われた身。
アジアデの主人は貿易商人なので家を空けることが多く、二人は同棲に近い日々を送るようになる。事はうまく運ばないのが世の常。やがてロティは帰国することになって、泣く泣く別れの日が来る。
この悲恋物語はヨーロッパで評判になった。ハレムの美女アジアデは、オリエントへの憧れに拍車をかけた。アングルの描いた「オダリスク」を思い出す。オダリスクは、トルコ語で「ハレムの女」を意味する。エキゾッチックな「オダリスク」は、蠱惑的な瞳で悩ませる。背中から腰への長過ぎるライン。
二人の密会の場、エユップ地区は、金角湾のどん詰まりにある。遠くイスタンブールの街を見ながら、チャイハネでお茶を飲む。金角湾に浮かぶ小舟。アジアデに引き寄せられて多くの人たちがやってくる。
お昼は、地元の人でにぎわっているシーフード・レストランへ行った。前菜はイサキの酢漬け、エビのスープ、赤カブ、トマト、ピクルスのサラダ。
メインはタイの塩焼き、オリーブがたっぷり。デザートはイチゴ、アイスクリーム、なかなかの豪華メニュー。トルコは世界の3大料理と言われるだけあって、美味しいものがいっぱい。ロカンタ(大衆食堂)の食べ歩きはおすすめ。
スレーマニー・ジャーミー
イスタンブールの最後はスレーマニー・ジャーミー。(金曜礼拝が行われる大きなモスクをジャーミーという)。海から丘の上にせり出すジャーミーは、外観が際だって立派だ。オスマントルコの全盛期に君臨したスレイマン1世が、巨匠シナンに依頼して造らせた。色鮮やかな大ドームは、天上から光が降り注ぎ、神々しいばかりである。遮る物のない空間は、金曜礼拝のイスラム教徒で埋めつくされる。しばし絨毯にへたり込みながら、スレーマニー・ジャーミーの円蓋を仰ぎ見るのであった。
ホテルからアヤ・ソフィアが目の前に見える
スルタンアフメット地区にあるTerrace guest houseホテルにはエレベーターがない。スーツケースを持ちあげて螺旋階段を昇っていかなければならない。
朝も早よからアザーンで起こされる。朝食は屋上だという。えんやこら階段を上がって、6階の屋上に着いたら、ユーラシア大陸のど真ん中に出た。ヨーロッパとアジアをつなぐボスポラス大橋、マルマラ海を行き交う船、振り向けばアヤ・ソフィア。まるで空飛ぶ絨毯に乗っかっているよう。
スルタンアフメット地区というのは、帝都コンスタンチノープルのへそにあたる。由緒ある場所だが、ホテルのまわりはごちゃごちゃとしていて、いかにも旧市街といった感じ。屋根のくたぶれ具合がいい。
テラスのフェンスにカモメが止まる。ツバメが大きく旋回してアジア側へ越境していく。風が吹いてくる。アジアの風か、ヨーロッパの風か。
朝食に、ポーランド、フランス、スペイン、いろんな国の人たちが、狭い階段を上がってくる。あれ、こんなに大勢泊まっていたのかとびっくりする。
はっきりいって、このホテルは快適ではない。安いのが取り柄で、家庭的な気安さが受けているのかなと思った。ところがいい意味で予想は裏切られた。
このゲストハウスは文句なく素晴らしい。このロケーション、こんな素晴らしい場所が世界のどこあるだろう。みんな絶対評価で来ているのだ。旅の通の選ぶホテルはこういうところなのだと知った。
ホテルの屋上からマルマラ海を望む
裏通りをガラタ橋のほうへ下っていくとエジプシャンバザールに出る。エジプトの産物を取引していたからその名がある。世界中の香辛料が集まったのではないかと思うほど、香辛料が山のように並べられている。赤、黄、緑、黒のあらゆる色が競い合う。
バクラワなどのお菓子が並ぶ店で、店員がやたらに話しかけてくる。日本人の観光客が大勢やってくるらしく、日本語が上手だ。「持ってけ、ドロボー」などと寅さんみたいなことをいう。わいわい言っているうちに、あれこれお菓子を買うはめになった。そんなに高くないから、まあいいか。
エジプシャンバザール
それにしてもトルコの男ってイケメンが多い。お店のお兄ちゃんなんか目元すっきり、口から出まかせ。「向かいの店のあいつはオカマだよ」。ホントかよと確かめに行ったら、何を言うかと怒ってきた。怒った顔つきがまた渋い。それであいつの店で、黒コショウと白コショウを買った。
ガラタ橋のエミノニュ広場に出て、サバサンドを求めた。船上の巨大なレンジで大量のサバが焼かれて、もうもうと煙が立ち込める。手早くパンにはさんで渡してくれる。
エユップの丘のチャイハネ
イスタンブールを愛した人は多い。ピエール・ロティもそのひとり。ロティは、1879年『アジアデ』を書いた。二階の格子窓からちらりと視線を送る美女がいた。一目惚れしたロティは、トルコ人に扮して階下に通うようになる。女の名はアジアデ、老富豪のハレムに囲われた身。
アジアデの主人は貿易商人なので家を空けることが多く、二人は同棲に近い日々を送るようになる。事はうまく運ばないのが世の常。やがてロティは帰国することになって、泣く泣く別れの日が来る。
この悲恋物語はヨーロッパで評判になった。ハレムの美女アジアデは、オリエントへの憧れに拍車をかけた。アングルの描いた「オダリスク」を思い出す。オダリスクは、トルコ語で「ハレムの女」を意味する。エキゾッチックな「オダリスク」は、蠱惑的な瞳で悩ませる。背中から腰への長過ぎるライン。
二人の密会の場、エユップ地区は、金角湾のどん詰まりにある。遠くイスタンブールの街を見ながら、チャイハネでお茶を飲む。金角湾に浮かぶ小舟。アジアデに引き寄せられて多くの人たちがやってくる。
お昼は、地元の人でにぎわっているシーフード・レストランへ行った。前菜はイサキの酢漬け、エビのスープ、赤カブ、トマト、ピクルスのサラダ。
メインはタイの塩焼き、オリーブがたっぷり。デザートはイチゴ、アイスクリーム、なかなかの豪華メニュー。トルコは世界の3大料理と言われるだけあって、美味しいものがいっぱい。ロカンタ(大衆食堂)の食べ歩きはおすすめ。
スレーマニー・ジャーミー
イスタンブールの最後はスレーマニー・ジャーミー。(金曜礼拝が行われる大きなモスクをジャーミーという)。海から丘の上にせり出すジャーミーは、外観が際だって立派だ。オスマントルコの全盛期に君臨したスレイマン1世が、巨匠シナンに依頼して造らせた。色鮮やかな大ドームは、天上から光が降り注ぎ、神々しいばかりである。遮る物のない空間は、金曜礼拝のイスラム教徒で埋めつくされる。しばし絨毯にへたり込みながら、スレーマニー・ジャーミーの円蓋を仰ぎ見るのであった。
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