中東紀行 ペトラ

Sceneken

2011年01月21日 23:44

“S.E.M.旅行Gr №206 (06.09.20)”より
ペトラ(ヨルダン)

なだらかな丘にアインムーサ村がある。モーゼの泉という意味をもつ。モーゼが岩をコンコンとたたいたら泉が出てきたという。小さなドームの下、泉が湧き出ていた。弘法太子の独鈷の湯みたい。
ペトラは、その村の坂を下りたところにある。1812年、スイスの探検家ブルクハルトが、謎のナバタイ王国を目指してカイロに向う途中、秘密の道を分け入っていった。岩山の奥に廃墟がひっそりと眠っていた。まったくの偶然だった。
遊牧民のナバタイ王国は、砂漠を熟知し、神出鬼没、戦略に優れていた。隊商を襲って略奪していたが、一転して保護する代わりに税を取り立てるようになった。やがて隊商そのものとなる。香料を陶器につめてアラビア半島を横断し、エジプトへ運んだ。富は計り知れなかった。
ぼくは、馬に乗ってパカパカと、ペトラの入り口にたどり着いた。実際は、揺られて落っこちそうになりながら、必死にしがみついていた。下馬して、岩の絶壁の間を歩きだす。シルクロードの隊商路は、ひんやりとして薄暗く、見上げる空が細長い。ラクダや馬の蹄の音が、岸壁に響き渡ってくるようだ。岩陰から襲われたらひとたまりもない。峨峨たる岩山の裂け目に隠れていれば、人目につかない。
峡谷(シーク)の両脇に手掘りの導水路があった。冬から春先にかけて、突然洪水に見舞われることがあった。大水をダムに貯め、土管(テラコッタ製)でペトラの街まで運んだ。2000年前に、このような土木技術があったのだ。
岩と岩の間に、朝日を浴びてバラ色に染まった建物が見えてきた。まばゆいばかりに輝いて、神殿が姿を現してきた。映画「インディ・ジョーンズ」の冒頭シーン、馬で駆けいくハリソン・フォードの勇姿が目に浮かぶ。神殿は、光のうつろうごとに、微妙に姿を代え、50の色のバラに変身するという。「時の刻みと同じくらい古いばら色の都市」と詩人はうたう。

エル・カズネ
エル・カズネ (宝物殿)はBC25年に建てられた。ファサードはコリント式の柱に破風が乗り、イシス(エジプト)、アマゾネス(ギリシア)、太陽神など、各地の神々が並ぶ。エジプト、ギリシフ、ローマ、地中海をとりまく文化の集合体のような神殿である。華麗にして優雅、なんに使われたか分からない神秘さも見るものを魅了する。
ここから奥にも延々と、神殿やらローマ劇場、浴場が見られる。こんな辺境の地に、汎地中海の都市国家があったのだ。実際、アラム語で書き、アラビア語を話し、セム系の宗教を祭り、ヘレニズム文化を受け入れていたという、驚くほどにインターナショナル。
列柱の並ぶ広場に出る。青い空を切り裂いて、巨大な岩山が連なっている。木一つ生えていない岩山のふもとに、王宮墳墓、シルク墳墓、壷型墳墓がうがたれていた。なかでもシルク墳墓は、多彩な地層を掘り起こして、カラフルな虹色の波型模様に彩られていた。

石を売っている女の子
地べたに座って、きれいな色の石を売っている女の子がいた。並べているだけで、あまり商売にはなっていないようだった。遊牧民がロバに乗ってやってくる。もともと遺跡に住んでいたベドウィンが、外のほうに追いやられてた。
しばらく昼休みを取って、急な山道を登りだした。えんやこらと汗を拭き拭き、登ること1時間30分。やっとのことでエド・ディルのある頂上に着いた。エド・ディルは修道院という意味で、神殿の高さは45㍍、エル・カズネより大きい。こんなに立派なのに、人影はまばら。
エド・ディルからさらに小高い頂を目指す。ふらふらとたどり着くや、ばったり倒れもせず、心地よい風に吹かれていた。頂上から、ワディ・ムーサの村、アラバ渓谷が、無限のかなたまで広がっていた。

ペトラ山頂 大地溝帯を見渡す
世界史の年表をなぞるようにして、中東の旅は終わった。6000年この方、おびただしい鮮血が、砂漠に流されてきた。今なお戦火がやまない中東にあって、希望を捨てることなく、人々は生きていくしかない。

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