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中央アジア紀行 ウズベキスタン

“S.E.M.旅行Gr №147 (05.11.29)”より
ウズベキスタンへ 
中央アジア紀行 ウズベキスタン
【中央アジアの地図】 赤い線はシルクロード、紫はわき道を表す(ナショナル・ジオグラフィックより)。本旅行ではアシガバード、メルブ、ブハラなどを訪ねた。

「中央アジアの草原にて」の踊るような軽快なリズムは、限りなく草原へとさそう。少年の頃、この曲を聴いてから、中央アジアは憧れの地となった。はるかな草原への旅立ち。10月11日、ウズベキスタン航空526便は、10時05分に関空を飛びたった。
万里の長城、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠、天山山脈へと、ユーラシア大陸を横断していく。飛行コースは滅多にないほどの快晴だったので、地図上のできごとでなく、リアルタイムに眺めることができた。天山の裾に細々とつづく道が、人の気配をわずかに感じさせる。あとは人跡未踏の険しい風景がつづいていた。天山に雪が積もっている。あの雪が解けて、タクラマカン砂漠へと流れ、オアシスをうるおしている。シルクロードの道も天山の雪なくして語れない。
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【天山山脈】
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【パミール高原】
ユーラシア大陸の最深部、中央アジアにさしかかる。中国の西域の更なる西、天山、パミールを越えて、カスピ海にまで至る地域が中央アジア。ウズヘキスタン、トルクメニスタン等国名の終わりにスタンがつく。イスラムの国をあらわす。今回はウズベキスタン、トルクメニスタンを訪ねた。 
ウズベキスタンの首都タシケントに近づいてきた。灰色のスレートの屋根、区画整理された農地、直線道路、ポプラ並木。ソ連時代のコルホーズを今に見る。
タシケント空港に着いた。526便はイスタンブール行きなので、降りたのはわれわれだけだった。(もう一人ロシア人らしき人もいた)。ウズベキスタン航空でありながら、首都タシケントへ誰も(除くわれわれ)降りないとはどういうことだ。それほど不人気なのか。外務省が危険情報を流したことも影響している。カリモフ率いる政府軍が、反政府ゲリラを撃退したというニュースが、確か春先にあった。あれは国境付近だから心配ないと思うけれど、未知への旅は、どんな小さいことでも不安をつのらせる。経験的に言えば、女子供が平気で歩いている限り、そこは大丈夫と思っていい。もっとも最近のテロはそういうところで起きているが。ウズベクみたいな辺境の地では、お腹をこわしやすいと心配する向きもある。
でもなんとかなるだろう。ほとんどの場合、ひとは止める理由を先に考えて、手付かずで終わってしまう。取り越し苦労は、人生をつまらなくする。「思慮深くして動かぬものより,思慮浅くして動くものであれ」というのがぼくの信条なのだ。
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【上空からタシケント郊外を見る】
タシケントは大きな街である。見て回るのは最終日の帰国する日にするとして、この日は、ホテルでゆっくりと休んだ。
翌朝は7時の国内線に乗るため、4時30分に起きた。真っ暗いなか、タシケントの街をバスで空港へ向う。もう通勤しているのか、通りを歩いている人がいる。抱き合うように若い男女が交差点を渡っていく。どのような事情があるのだろうか。市電が動き出した。  バスもガタガタいわせて広い道路を通り過ぎていく。中央アジアのバスはどうしてこんなにオンボロなのだろう。戦後間もない頃の木炭バスみたいだ。
飛行機は、ウルゲンチへと飛び立った。キジルクム砂漠が広がっている。アムダリア川が、たくさんの中州をつくって流れ下っていくのが見える。このように見渡す限り広々とした平原を夢見て、ボロディンは「中央アジアの草原にて」を作曲したのだろう。馬とらくだの足音に混じって、遠くから東洋風な旋律が響き渡る。軽やかなリズムは、ロシア民謡と溶け合いながら、平原の空へ消えていく。
小さくバウンドしながらウルゲンチ空港へ着陸した。ウルゲンチなんて聞いたこともない。カスピ海へ抜けるシルクロードの脇道にあるらしい。シルクロードは西域の砂漠行路と、天山の北、草原のステップロードがあった。そのコースを結んで中央アジアは広がっている。

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