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中央アジア紀行 ニサ

“S.E.M.旅行Gr №161 (06.03.08)”より
ニサ
トルクメニスタンの首都アシュガバード(55万人)へ飛ぶ。クニャ・ウルゲンチのタシュホウズ飛行場は超ローカルらしく、おばちゃんたちが大荷物を抱えて、大きな声で話していた。照明が暗く、殺風景なコンクリの天井に蚊が舞っている。小さな飛行機に押し合い圧し合い乗り込んだ。座席は自由席で早い者勝ち、しかもきゅうくつときている。
「もういやんなる」とぼやいていたら、隣の若者がガムをくれた。まあいいか。夜の国内線は暗がりのクニャ・ウルゲンチを飛び立った。夜間飛行の窓越しに星が見える。ホラズム王国からパルティア王国へ、カラクム砂漠をつっきっていく。
中央アジア紀行 ニサ
【アシュガバード トルクメニスタンの首都】
首都アシュガバードは、やけに近代的だった。ホワイトシティと名乗るべく、建物がみな白い。道路も広いし緑の公園もある。トルクメニスタンは豊富な天然ガスを産出しているから、他の中央アジアの国々よりは豊かだ。輸出がうまく行くかどうかだが。
街は立派というより、歴史の匂いもせず、どこかちぐはぐな感じがする。やたらと街中に、ニヤゾフ大統領の顔が目につく。街のど真ん中にある高さ75メートルの塔の上に、ニヤゾフ黄金像が輝いていて、毒気を抜かされる。クーデターかなんかで大統領が倒されたら、あれを取っ払うのに大変じゃないか。
「永世中立国」トルクメニスタンの首都アシュガバードとは「愛の町」を意味する。なるほどガス、電気、水道代、教育費はただだから、愛の町といえなくもない。街角ごとに現れる看板の主がいなくなれば、もっと愛の町となるのだが。
                     *
翌朝、アシュガバードから西へ18キロ、パルティア王国(BC3世紀~)の都ニサへ向った。街を抜けると、霧がたなびくコペット・ダグ山脈が見えてくる。全長350キロ、最高2400メートル。半砂漠ばかりを旅した身には、山の青さが目にしみる。久々に水蒸気を感じた。
中央アジア紀行 ニサ
【ニサ 古代の遺跡。山の向こうはイラン】
あの山を越えればイラン。昔、こちら側から略奪をかけて、多くのイラン系の人たちをさらってきたという。なにしおう名馬アハル・テケの産地とあれば、闘争心に長けていた。
ニサの遺跡には、係りなどいなくて、イランのほうから風が吹いてくるだけ。高みに立てば、ペンタゴンみたいな五角形の城壁が見渡せる。広い庭園を前にして、レンガ造りの広壮な王宮が建っていた。むろん遺跡としてしか残っていない。玉座の間の柱は、4つの円柱が合わさって蓮片のよう。ヘレニズム文明の影響か、オープンバルコニーの飾りに、唐草模様や渦巻き模様が見られる。土台の壁面になぜか菊の紋章があった。皇室と関係があるのかしら。これは誰も言ってないから、大発見に繋がるかもしれない。
中央アジア紀行 ニサ
【古代の神殿 これはメソポタミア(イラク)の遺跡(ニサのではない)の復元図。ニサの想像図として参考までに載せておきます。】
王の倉庫からは、ニサのヴィーナス像や象牙のリュトンが発掘された。(国立博物館蔵) 城内の醸造所からワインを運び、リュトンに注いで、コペット・ダグ山脈から昇る月を眺めていたのだろうか。西の方角に新ニサが見える。昔、庶民が住んでいた場所で、今もなお、人々の暮らしがつづいている。古いものは何も残っていない。
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午後、コペット・ダグ山脈沿いに東へ。左手に世界最長のカラクム運河(1100キロ)が見える。その向こうに日本の面積ほどもあるカラクム砂漠が広がっている。アムダリア川が流れるままに土砂を運んで形成された黒い砂漠。
右手に鉄道線路が走っている。1週間に1回走るかどうか。砂漠を行く汽車など見ることもないとあきらめていたら、草原をかき分けるように轟音を響かせて、列車が近づいてきた。見ろ、汽車だ。汽車少年となって、来し方行く末に思いを馳せ、胸躍らせていた。長い貨物列車が、シルクロードを行くラクダのごとく、キャラバンチックにゆっくりと走り去っていく。
灌漑したところは綿畑になっているが、それ以外は膨大な不毛の地だ。なにもない風景に時間が食われる。アナウに着いた。ぽこぽことした丘陵地は、昔、日干し煉瓦の集落があったところだ。1948年の大地震で崩壊したモスクが、瓦礫のまま横たわっていた。壮麗な面影を残し、お労(いたわ)しい限りである。
中央アジア紀行 ニサ
【アナウ モスクは地震で崩壊したまま】
アナウをあなどってはいけない。この地こそ農耕発祥の地なのだ。1903年、麦の痕跡を残す土器が発見されて、5千年も前に小麦が栽培されていたことが分かった。これは四大文明と同じ頃である。古代文字も見つかっている。その後、シルクロードの中継地として発展したアナウも、誰に知られることなく、いつしか歴史の中に埋もれていった。
しかし見かけで判断してはいけない。アナウは世界遺産級なのだ。
今晩の宿はマリーだ。おりしも満月が東の地平から昇ってきた。いとしのマリー、いまはどこにとバスは行く。

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