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タクラマカン砂漠

“S.E.M.旅行Gr №120 (05.05.21)”より
タクラマカン砂漠
9月23日、ポプラですっぽり包まれたようなオアシス都市、ホータンを出発した。ニヤまで320キロ、西域南道を東へ、この道はシルクロードでもあるが、僧が仏典を求める求法の道でもあった。ヤルカンドから南に向えば仏教の聖地インドにいたる。
ゴビの荒涼たる広がりの中を行く。わずかばかりの草原に、フタコブラクダがたたずんでいた。ややあって稲田を目にする。湧水があるのだろう。
タクラマカン砂漠
【ケリヤの帽子】
ケリヤの街で小さな帽子をかぶったおばあさんに会った。世界で一番小さな帽子、かぶるというより乗っけているって感じ。娘がお嫁に行くとつけるのだそうだ。並木の涼やかな通りを歩いていたら、土壁の家の前で、老人が「旅の人よ。寄って行かんかね」と招じ入れてくれた。広い中庭で、お母さん、幼児、娘さんがくつろいでいた。旅人に優しいイスラムの人々。ナンを食べなよとおばあさんが手渡してくれる。
ニヤに着いた。まったく無愛想な寂々とした所だ。紅柳、胡柳(こよう)が茂る。胡柳はバオバフのような大木であった。夕日が白い月のように沈んでいった。あまり設備のいいとはいえないホテルに泊まった。この地域の若者が宴会を開いていた。
タクラマカン砂漠
【タクラマカン砂漠】
 9月25日、いよいよタクラマカン縦断の砂漠公路(522キロ)に入る。この道が全通したのは1994年だから、まだ10年くらいしかたっていない。黄土色した小糠のような砂丘が果てしなく続いている。渺々たる砂の海だ。ひとたび海に入り込めば、2度と帰ってこれない。
 子どもの頃、中田島砂丘は9つの砂丘を越えていかなければ海にたどり着けなかった。冒険心を駆り立て、上っては下っていった。9つ越えるだけで息も絶え絶えだったのに、何十万あるか分からない厖大な砂丘を越えていくとなると、ホントに息が絶えてしまう。タクラマカンは死の海を意味する。
 ひとはどのようにして砂漠を旅したのだろうか。星座を羅針盤代わりにしたのだろうか。秋から翌年の春にかけてキャラバンは砂漠を横切っていった。夏では暑すぎる。夜、先導する案内人がかざすカンテラを頼りにラクダを進めていった。
 塔中に着く。塔克拉瑪干(タクマラカン)の真ん中だから塔中。タクラマカンはユーラシア大陸のへそ、その真ん中だからへその中のへそというわけだ。小さな食堂があった。ジュースやスナック菓子を売っていた。ちょっとした軽食もできる。ここより砂漠の道を行けとばかり、ゲートには、「征戦 死之海。只有荒涼的砂漠。没有荒涼的人生」とスロガーンが掲げられていた。近くで砂漠のねずみが顔を覗かせていた。

 今、こうしてバスで砂漠を縦断できるのも、石油のおかげだ。1980年、油田が発見され、採掘のために道路が建設された。砂漠の只中をひたすらまっすぐにバスは走る。道路以外何もない。中田島砂丘にもあった葦の風除けの柵が、うねうねとどこまでも続いている。柵は二重三重に田の字型に飛砂から守っていた。
 風がびゅうびゅうと舞う。一夜にしてその姿を変えてしまう流砂の砂漠。道路沿いに背の低いタマリスク、砂ナツメなどの防砂林がついてくる。細いパイプがどこまでも張り巡らされていて、小さな穴から散水をしている。若者がパイプを設置していた。遠いふるさとを離れて出稼ぎに来ているそうだ。こんな砂漠の真ん中で働くのはつらくないかというと、「稼ぎがいい
|から」と答える。何百キロにわたって、ぽたぽたと如雨露のように水をかける。その遠大さに中国の悠久を見た思いがした。
タクラマカン砂漠
【出稼ぎの若者】
 タクラマカンの砂漠に一歩足を踏み入れた。たった15分入ったところで道路が視野から消えた。砂は中田島砂丘より細かいが、踏みしめると意外と硬かった。昔やったように、砂丘のてっぺんから飛び降りてみた。むなしく直下に落下するのみ。オレも年だ。
 砂丘のうねりのなかで、砂漠を行き来した情熱はいったい何だったのだろうか、と考えずにはいられなかった。見渡す限り何もない砂漠は、ひとを寄せつけないように見える。だからこそ、ひとは砂漠に魅入られていったのだろうか。
 砂漠のまろやかな造形は官能的でさえある。映画『イングリッシュ・ペイシェント』のファーストシーン。サハラ砂漠、それは音のない世界。夕日がその大地を、さまざまな色に染めあげる。夕日に彩られた砂の山脈はまるで、肩を寄せ合っている人々のように見える。
 サン・テグジュベリは、操縦していた飛行機がリビア砂漠に不時着してしまう。砂漠をさまよいながら「僕には悲しみがない。砂漠は僕だ。僕にはもう、それに向って泣いていたであろうやさしい映像も、現れなくなった。太陽が、僕の涙の泉を涸らしてしまった」と書いている。さすが『星の王子さま』の作者だけあって詩人だ。
タクラマカン砂漠
|【タリム河】
 午後の日差しが西に向きかけるころ、遠くカラコルム、崑崙の山々に源を発するタリム河を渡った。砂漠の真ん中を悠々と流れ行く世界一の内陸河。水面は明るいコバルトブルー、水鳥が空に舞う。200メートルばかりの橋を歩いて渡った。橋の上から、この先にロプノール湖があるのかと見遥かす。今では湖水は干上がっているそうだが、かつては満々と水をたたえていた。しかもその位置は年毎に変わるという。さまよえる湖を目指して、探検家スウェン・ヘディンはタクラマカンを横断した。そこで彼は遭難しそうになる。5日間、這いずり回りながら、奇跡的にも泉を探し当てる。その後、楼蘭遺跡を発見する。
 後年、楼蘭から発見されたミイラがウルムチの博物館に展示してあった。楼蘭美女はミイラになっても高貴な美貌を放っていた。

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